1.人間中心の職業教育観とは
職業教育論には、経済構造や労働市場に焦点を当てる制度派、スキル形成を軸とする技能派、文化や社会構造を読み解く批判派など、多様な潮流が存在する。
その中で「人間主義・キャリア形成派(Humanistic and Career Development Approach)」は、
職業教育を「人間の成長・自己実現のためのプロセス」として位置づける立場である。
この派閥は、教育心理学、発達心理学、カウンセリング理論などの知見を背景とし、
職業教育を単なる労働力養成の場ではなく、「生涯発達(life-span development)」の一環としてとらえる。
したがって、この潮流は「教育の人間化(humanization of education)」を核心理念とし、
人が働くことを通じてどのように「自己理解」し、「社会参加」し、「幸福を追求するか」を探究してきた。
2.理論的背景:人間主義心理学とキャリア発達理論
(1)人間主義心理学(Humanistic Psychology)
この潮流の思想的源流は、1950年代の人間主義心理学(humanistic psychology)にさかのぼる。
代表的理論家は、A・H・マズロー(Abraham Maslow)とC・R・ロジャーズ(Carl Rogers)である。
- マズローは「欲求階層説(Hierarchy of Needs)」を提唱し、人間には生理的欲求から自己実現欲求に至るまでの段階的発達があると論じた。
職業教育は、この自己実現段階を支える重要な学習場とみなされた。 - ロジャーズは「自己概念(self-concept)」を中心に、「自己一致(congruence)」をめざす教育・カウンセリングを提唱。
学習者の主体的成長を尊重する「自己指導的学習(self-directed learning)」の概念は、今日のキャリア教育にも深く影響している。
これらの理論は、従来の「労働力としての人間」ではなく、「成長する主体としての人間」を教育の出発点に置くという点で、
職業教育の価値観を根底から変えるものであった。
(2)キャリア発達理論(Career Development Theory)
1950年代から70年代にかけて、アメリカでは「職業選択とキャリア形成」を心理学的に研究する学派が形成された。
この流れが、人間主義的職業教育論の実践的・科学的基盤となる。
代表的理論として以下が挙げられる。
- ドナルド・E・スーパー(Donald E. Super)
→「生涯キャリア発達理論(Life-Span, Life-Space Theory)」を提唱。
職業的自己概念(vocational self-concept)が人生の各段階で発達し、キャリアは「成長(Growth)」「探索(Exploration)」「確立(Establishment)」「維持(Maintenance)」「衰退(Decline)」の5段階を経るとした。
この理論は今日のキャリア教育・キャリアカウンセリングの根幹である。 - ジョン・L・ホランド(John L. Holland)
→「職業パーソナリティ理論(RIASECモデル)」を提唱。
人の性格を6つのタイプ(Realistic, Investigative, Artistic, Social, Enterprising, Conventional)に分類し、
職業環境との適合性(person–environment fit)がキャリア満足度を左右するとした。
職業適性検査やキャリアガイダンスに広く応用されている。 - エドガー・シャイン(Edgar H. Schein)
→「キャリア・アンカー理論(Career Anchors)」を提唱。
個人の価値観・動機・能力を内的指針(anchor)とみなし、キャリア選択の安定的基盤とした。
組織内キャリア開発の理論的支柱でもある。
これらの理論は、キャリアを「職業選択の一瞬の意思決定」ではなく、
「生涯にわたる発達的・内省的プロセス」として理解する視座を確立した。
3.代表的研究者とその理論的展開
(1)Donald E. Super:キャリア発達理論の体系化
スーパーは、職業教育を「人生の諸役割(life roles)」の中での自己実現過程と位置づけた。
彼の理論の核心は「自己概念の実現としてのキャリア」であり、
職業生活は個人が自らの自己像を社会的文脈の中で具現化していくプロセスであるとされた。
また、彼は「ライフスパン・レインボー(Life-Span, Life-Space Rainbow)」という図式を提示し、
人間が「労働者」「家庭人」「市民」「学生」など複数の役割を持ち、それらが時間軸上で変化することを示した。
この理論は、現代の「ワーク・ライフ・バランス」や「キャリアデザイン教育」に直接つながる。
(2)John L. Holland:職業適合モデルと教育応用
ホランドのRIASECモデルは、職業ガイダンスの世界的標準理論として定着している。
職業教育の現場では、学習者の性格傾向や興味を把握し、適合する学習環境や職業群を提案するためのツールとして用いられている。
たとえば、工業高校・専門学校の進路指導では、リアリスティック(実践型)やインベスティゲーティブ(探究型)の傾向を持つ学生に応じて、
教育課程や実習内容をカスタマイズするなど、教育設計に実際的な影響を与えている。
(3)Edgar H. Schein:組織内キャリアの理論化
シャインは、キャリアを組織との相互作用で理解する「組織社会学的アプローチ」を導入した。
彼のキャリア・アンカー理論では、個人は「専門能力」「安定・保障」「自立」「創造性」「奉仕」「挑戦」「生活様式」「総合管理」など、
8種類の内的価値軸のいずれかを重視し、それがキャリアの方向性を決定するとする。
この考え方は、企業内教育(社内研修・OJT)やキャリア開発プログラムに応用され、
人材の「定着支援」や「職務満足度向上」に役立っている。
(4)現代の展開:Mark Savickasと構成主義的キャリア理論
21世紀に入り、マーク・サヴィカス(Mark Savickas)が「構成主義的キャリア理論(Career Construction Theory)」を提唱した。
彼は、ポスト産業社会では「安定した職業」よりも、「自己の物語(narrative)」がキャリアの軸となると論じた。
キャリアは外部構造ではなく、「意味づけ(meaning-making)」のプロセスとして再定義されたのである。
サヴィカスの理論は、個人の内的物語(life story)を通して職業的アイデンティティを再構築する「ナラティブ・キャリアカウンセリング」へと展開し、
不確実な社会におけるキャリア教育の新しい方向性を提示している。
4.主要概念と専門用語の解説
| 用語 | 定義・意味 | 関連理論 |
|---|---|---|
| 自己概念(Self-Concept) | 自分が何者であるか、何を望み、何ができるかという自己理解。スーパー理論の中核。 | Super |
| ライフスパン発達(Life-Span Development) | 人の発達は青年期にとどまらず、生涯にわたって継続するという考え。 | Super, Erikson |
| キャリア・アンカー(Career Anchor) | 個人がキャリア選択において譲れない価値観や動機。 | Schein |
| 職業的成熟(Vocational Maturity) | 年齢や経験に応じて職業選択・職務遂行能力が発達する程度。 | Super |
| ナラティブ・アプローチ(Narrative Approach) | 自分の人生を物語として捉え、意味づけを通してキャリアを構築する方法。 | Savickas |
| キャリア・アダプタビリティ(Career Adaptability) | 変化する社会環境に柔軟に対応し、自らキャリアを更新する能力。 | Savickas, Hall |
5.現代的課題と展望
(1)不確実な時代の「キャリア自律」への転換
グローバル化・デジタル化・非正規雇用の増加により、「組織がキャリアを保障する時代」は終焉を迎えた。
その結果、キャリア形成は「個人の自律的課題」として再定義されつつある。
サヴィカスのキャリア構成理論や「プロティアン・キャリア(Protean Career:自己主導型キャリア)」の概念は、
こうした環境変化への理論的応答である。
(2)教育現場でのキャリア教育への応用
日本の教育現場でも、文部科学省が推進するキャリア教育(career education)政策の理論的支柱として、
スーパーやホランドの理論が導入されている。
児童生徒に「自分らしい生き方」を探求させる教育プログラムは、
単なる進路指導ではなく、「人生設計教育」としての意義を持つ。
(3)生涯学習社会への理論的寄与
人間主義・キャリア形成派の理論は、「生涯学習(lifelong learning)」や「学習する社会(learning society)」の理念とも深く結びつく。
働くことが学びの継続であり、学びが働くことの延長であるという相互循環的構図が、
この派閥の教育哲学の中核にある。
6.結論:人間的キャリア観の再構築へ
人間主義・キャリア形成派の理論的意義は、職業教育を「人間形成の教育」として再定義した点にある。
マズローの自己実現理論、ロジャーズの人間中心主義、スーパーやホランドのキャリア発達理論、
そしてサヴィカスの構成主義的理論に至るまで、
一貫して「人は働くことを通じて成長する存在である」という人間観を共有している。
現代社会において、キャリアはもはや「職業経歴」ではなく、
「生き方そのもの(way of life)」として捉えられる。
人間主義・キャリア形成派は、そのような「生きることの教育」を理論的に支える、
職業教育論の最も人間的な潮流であり続けている。
