1.技能形成をめぐる職業教育論の位置づけ
職業教育論(Vocational Education Theory)の中でも、「技能形成・職能開発派(Skill Formation and Competency-Based Approach)」は、実践的・制度的な観点から職業教育を分析する潮流として確固たる地位を占めている。
この派閥は、労働市場・教育制度・産業構造の三者の連関を重視し、職業能力(competency)や技能(skill)がどのように形成・再生産されるかを解明することを目的としてきた。
第二次世界大戦後、経済の高度化と産業の知識集約化が進む中で、教育が単なる知識伝達の場ではなく、「労働力の質的形成の制度」として重要な意味を持つようになった。
その中で、「技能形成派」は、職業教育を社会的・経済的インフラの一部として位置づけ、
労働市場と教育制度の関係性を理論的に分析してきたのである。
2.理論的基盤:制度論的アプローチと人的資本論の融合
技能形成・職能開発派は、その理論的背景として、主に以下の二つの流れを統合している。
2-1|制度論的技能形成論(Institutional Theory of Skill Formation)
制度論的技能形成論とは、各国の教育制度・労働市場制度・企業文化といった「制度的要素」が、
労働者の技能水準や職業能力形成の形態を決定するという立場である。
代表的研究者としては、デイヴィッド・ソースキル(David Soskice)やピーター・ホール(Peter A. Hall)が挙げられる。
彼らは『Varieties of Capitalism』(2001)において、各国の資本主義体制を「自由主義市場経済(LME)」と「協調的市場経済(CME)」に分類し、技能形成の仕組みが経済体制によって大きく異なることを示した。
- LME(例:アメリカ、イギリス):
個人主導・市場依存的な技能形成。企業は短期的な雇用関係を前提とし、教育は一般的技能(general skills)を重視。 - CME(例:ドイツ、日本、スイス):
長期的雇用と企業内訓練を前提とし、職業教育制度(dual systemなど)を通じた特定技能(specific skills)の形成が進む。
このような制度比較的な視点は、「技能の社会的生産様式」という新たな概念を導入し、
教育と経済の結合様式を理論的に把握するための枠組みを提供した。
3-2|人的資本論(Human Capital Theory)
人的資本論は、経済学者**ゲイリー・ベッカー(Gary S. Becker)**によって1960年代に体系化された理論であり、教育や訓練を「投資」として捉え、労働者の生産性向上を通じて経済全体の成長に寄与するという考え方を採る。
この理論は、技能形成派の中で「技能の経済的価値」を分析する際に重要な理論的基礎となっている。
ただし、ベッカー理論が前提とする「個人の合理的選択」だけでは、国家制度や企業文化の違いを十分に説明できないため、後述する「社会的技能形成論(Social Skill Formation Theory)」が発展した。
3.代表的研究者とその理論的展開
3-1|Wolfgang Streeck(ヴォルフガング・シュトレック)
ドイツ社会学者であるシュトレックは、「ドイツ型職業訓練システム」の社会的基盤を明らかにした。
彼は、技能形成を「国家・企業・労働組合の三者協調」によって支えられる制度的成果とみなし、
この制度がドイツの製造業競争力の基礎であると論じた。
シュトレックはまた、「社会的制度としての企業」という観点から、
企業が単なる利益追求の場ではなく、技能形成・社会統合の担い手であることを示した。
3-2|Michael M. Lynch & Phillip Brown(イギリス)
彼らは1990年代以降、「スキル競争社会(Skill Competition Society)」という概念を提起し、
グローバル化の中で国家間・企業間が技能形成をめぐって競争している現実を指摘した。
特にブラウンは、『The Global Auction』(2011)において、
教育拡大にもかかわらず「高技能=高収入」の連関が崩壊しつつあることを批判的に分析している。
これは「技能の希少性から普遍性への転換」を示す重要な理論的指摘であり、
現代の職業教育政策にも大きな示唆を与えている。
3-3|日本における研究者と理論展開
日本では、佐藤学(東京大学名誉教授)が教育社会学的視点から技能形成の文化的基盤を分析し、
「実践知(practical knowledge)」の学習過程を重視する理論を展開している。
また、本田由紀(東京大学)は「教育から職業への移行(school-to-work transition)」を社会構造論的に分析し、
日本の若年層が直面する非正規雇用化・スキルミスマッチの問題を明らかにした。
さらに、黒田祥子(早稲田大学)は経済学的手法を用い、
企業内訓練やOJTの経済効果を定量的に検証している。
4.主要概念と専門用語の整理
- Competency(コンピテンシー):
職務遂行に必要な知識・技能・態度の総体。単なるスキルではなく、行動特性(behavioral traits)を含む。 - Dual System(二元制職業教育):
学校教育と企業実習を並行して行う制度。ドイツやスイスで発展し、理論と実践の融合モデルとして知られる。 - Work-Based Learning(職場基盤型学習):
職場での実践的経験を学習の中心に据える教育手法。日本の「企業内教育」やOJTもこれに該当する。 - Skill Ecosystem(技能生態系):
教育機関・企業・労働市場・地域社会の相互作用によって形成される技能の生成環境。
政策的介入の新しい枠組みとして注目されている。
5|現代的課題と新たな展開
5-1|デジタル技能と「再スキル化(Reskilling)」の時代
AI・ロボティクス・データサイエンスなどの技術革新が急速に進む中で、
既存の技能体系が陳腐化し、「再スキル化(reskilling)」と「アップスキル(upskilling)」が重要テーマとなっている。
OECDや世界経済フォーラム(WEF)は、「学び直し」を国家戦略として推進しており、
日本でもリスキリング支援が政策化(例:リスキリング支援補助金)されている。
5-2|非正規雇用・流動労働市場への対応
制度的技能形成論が前提としてきた「安定雇用」「企業内訓練」モデルは、
ポスト産業化社会において急速に崩壊している。
新しい課題は、いかに不安定な労働環境の中で持続的な技能形成を可能にするかである。
この点で、地域コミュニティや職業訓練校、オンライン教育などが再注目されている。
5-3|社会的公正と技能の包摂性
技能形成派の今後の重要課題のひとつは、「技能形成へのアクセスの不平等」を是正することである。
ジェンダー、階層、地域格差が技能形成機会に反映されるという問題に対し、
「インクルーシブ職業教育(Inclusive Vocational Education)」が政策的に議論されている。
6|結論:技能形成論の未来へ
技能形成・職能開発派は、教育を単なる知識伝達ではなく、社会構造・経済構造・文化の交差点として捉える理論的伝統を持つ。
今後の職業教育論の課題は、「技能を再定義し続ける」ことである。
デジタル化、人口減少、グローバル労働移動といった現代的文脈において、
技能はもはや固定的な能力ではなく、「更新可能な社会的資本」として理解されつつある。
このように、技能形成・職能開発派は、教育研究・経済政策・労働社会学を横断する知の集積として、
21世紀の「学びと働き」のあり方を理論的に照射し続けている。
